しかし、実際には100年近くの歴史を重ね、試行錯誤の上に生まれた非常に完成度の高い施術法なのです。頭髪や頭皮を移植するという試みが最初に行われたのは、19世紀末にドイツの外科医が頭髪の移植を実施したのがはじまりだといわれています。
この時期は、ヨーロッパで非常に多くの戦争が起こった時期と重なります。負傷兵の治療にあたり、皮膚を移植する医療技術などがさかんに取り入れられました。この過程で皮膚移植の手術も発展を繰り返し、遂には頭髪までを一緒に移植する方法が取られたと見られているのです。
わが国では、1930年笹川正男医師、1939年奥田庄二医師、1943年田村一医師らが自毛移植の手術や手技に関して優れた研究を残しました。しかし、戦争の暗い影がそれらの成果を覆い隠してしまい長らく埋もれたままになっていました。その後、アメリカのDr.ノーマン・オレントライヒが奥田の研究を、男性型脱毛症への手術治療法として発展させ、1970年代以降に「奥田・オレントライヒ法」として世界に広がり、これが自毛植毛手術の幕開けとなったのです。
初期の自毛植毛は「パンチ・グラフト」と呼ばれ、直径4~5mm程度に頭皮を毛根ごとくりぬき、これを薄毛部分に植毛していました。しかし、結果としてこの手法では、20本~30本の頭髪が束になって生えてくるので、自然さに欠けるという克服すべき難点がありました。
1970年代前半に「フラップ法」が開発されました。薄毛の場合でも、側頭部には比較的多く頭髪が残っており、この部位の頭皮を一片(この一片を「フラップ」と呼びます)だけ、頭髪と一緒に切り取って頭髪の少なくなった部位に移植する方法です。様々なフラップの切り出し方が考案されましたが、どの切り出し方でも移植後のフラップに血流を循環させるのは容易なことではありませんした。このため、せっかく張り合わせたフラップが壊死する可能性を否定できない弱点があったのです。
70年代の後半になると、頭髪が少なくなった部分の頭皮を切り取り、その周囲にある頭髪が多く残っている頭皮を引き伸ばす「スカルプ・リダクション法」が開発されました。当時は画期的な手法として知れ渡りました。
1990年代に入る頃には、自毛移植技術の開発や推進に関わる医師や研究者の数も増大します。
このころになると、単に頭髪と頭皮を移植するだけではなく仕上がりの美しさも追求されることになり、様々な方法が開発されるようになりました。例えば1992年、ブラジルのドクター・ウェペルが小さくした移植株を1,000株以上植毛するメガセッションを可能にしてから、飛躍的に自毛植毛技術が進歩を遂げました。
それまでの自毛植毛方法から大きく変わったことは、植毛株の大きさです。数十本単位だった植毛株が、1本ずつ自然に生えてくる毛穴単位の植毛になり、移植片であるグラフトもミニグラフト、マイクログラフトなど進化を遂げ、生え際なども自然に仕上がるようになったのです。
1993年には、アメリカのダラスで初めて国際毛髪外科学会が開催され、数千人規模の学会に発展しました。
これを期に、自毛植毛という「医療技術」が世界的に注目されるようになり、優れた植毛技術や植毛器具が次々と考案されました。
現在ではこれまで挙げた手法が更に改良され、自毛植毛は安全性が高まり、誰でも安心して受けられる満足感の高い手法として定着したといえます。